
HINAMI21【おばけ】
ある廃校。近隣には、おばけたちが住みついており、彼らは「ここには『おばけ』が出る」とおそれている。ある日、おばけたちの一団が校舎内に入ると、そこには彼らの言う『おばけ』が本当にいた。それは、人間である。おばけたちの中で人間が見えるのは、コンタただ一人。一方、人間たちの中でおばけが見えるのは、カケルただ一人。コンタとカケルを介しておばけと人間が交わった時、誰も触れることのできなかった真実が明らかになる。
ある廃校。近隣には、おばけたちが住みついており、彼らは「ここには『おばけ』が出る」とおそれている。ある日、おばけたちの一団が校舎内に入ると、そこには彼らの言う『おばけ』が本当にいた。それは、人間である。おばけたちの中で人間が見えるのは、コンタただ一人。一方、人間たちの中でおばけが見えるのは、カケルただ一人。コンタとカケルを介しておばけと人間が交わった時、誰も触れることのできなかった真実が明らかになる。
近未来。脳に手術を施して性格を整形できる時代になった。小森田家の母レイコは、心優しい夫と3人の子供に囲まれ、幸せに暮らしているはずだった。だが、完璧主義者の彼女は些細なことで子供と衝突しては、そのたびに自己嫌悪し、疲れ切ってしまう。一方、別所ジョウジは、両親の夫婦仲がとても良く、よき伴侶に巡り合いたいと密かに憧れ続けている。彼は有能な中堅サラリーマンで見た目も決して悪くないのだが、気の弱さと自己評価の低さが災いして、女性とうまくいったためしがない。彼ら二人の出した結論は性格整形手術を受けることだった。
私立探偵土居ルナコは、盲目かつ二重人格である。すなわち、「ホームズ」の人格と「ワトソン」の人格がルナコの中には同居しており、「ホームズ」は常に冷静沈着で超絶的な推理力の持ち主だが、甘いものに目がなく、好みのスイーツを取り寄せては日々楽しんでいる。対照的に「ワトソン」は口の減らない勝気なおてんば娘。まっすぐな性格で情に厚く、実は分かりやすすぎるほどツンデレな女である。ルナコのもとには次々に依頼者がやって来るが、その中には県警一の腕利きと名高いガニマータ警部も含まれている。
これが、2005年4月1日に発足したときからずっと、HINAMIが追い求めてきたものです。
デジタル機器やインターネットの発達によって、今や映画は誰でも撮ることが出来ます。必要なのは、情熱、仲間、そして最小限の製作技術だけです。
映画には、いろいろな顔があります。
経済的な成功を目指す、ビジネスとしての映画。
表現の可能性を追求する、アートとしての映画。
みんなで集まってそれ自体を楽しむ、お祭りとしての映画。
映画の歴史が始まったのは、19世紀の終わり頃。「そこにあるものをただ写す」ことからの出発でした。
20世紀の映画は、主としてビジネスとしての映画でした。アートとしての映画は一部の成功者を除いて「食えない」し、機材にもフィルムにも非常にお金がかかるので、お祭りとしてみんなで楽しむことなど到底できませんでした。
ところが、21世紀になって、状況は一変しました。テクノロジーの急速な発展によって、全てが桁違いに高品質かつ安価になったからです。その結果、大きな経済的リスクを負うことなく、アートとしての映画を徹底的に追求したり、つくりたい人たちが自由に集まって映画づくりそのものを楽しんだりすることが、人類の歴史上初めて可能になったのです。
だからこそ、HINAMIは「アートとしての映画」と「お祭りとしての映画」を誰もが楽しめることを示し、「プロアマ問わず、日々の暮らしの中で、映画づくりを一緒に楽しみませんか」と提案したいのです。映画は「映画ビジネス」と同一ではないし、経済的利益の追求をいったんカッコに入れるからこそ、より自由で多様な関係性を育むことが可能であり、それがビジネス以上の成果を生むことすらあるのだと証明したいのです。
映画は、本当に良いものです。映像、音声、演技、脚本が絡み合う総合芸術だからこそ、表現の可能性が無限にあります。また、撮影現場で参加者全員が一丸となり、和気藹々と、同時に極限まで集中して全力を尽くすときの一体感や昂揚感は、格別です。
HINAMI(ひなみ)とは「日常」を意味する日本の古語です。
映画づくりが、あなたにとっても「ひなみ」になりますように。
映画革命HINAMI 代表 黒川裕一
かつて、伝説の親分に率いられたギャング団があった。その名は、『パンダ組』。親分の座右の銘は、『義を見てせざるは勇無きなり』。目の前に困っている人がいると、手を差し伸べずにはいられない、昔気質の親分だった。子供には特に優しかった。だが、親分亡き後、跡継ぎを巡って内輪揉めが起き、2つに分裂。互いに譲らず、かたや『元祖パンダ組』、かたや『本家パンダ組』を名乗り、骨肉の争いを繰り広げ、今に至っている…
2023年7月 第13回「千年映画祭」にて上映
ティアは小さな折り畳み自転車であてもなく旅する二十代半ばの女性。無口で、自分から人に話しかけることがなく、笑わない。そんな彼女が、ある日、二十歳前後と思しき天真爛漫な女性・ルリとすれ違う。初対面とは思えない馴れ馴れしさで距離を詰めてくるルリを持て余しながらも、ティアは彼女を完全には拒まず、二人の「旅」が始まる。ルリに「どこまで行くの」と尋ねられて、「死ぬまで」と答えるティア。二人の旅は、どこへと向かうのか。
2023年7月 第13回千年映画祭にて上映
縁のあった者たちが追悼のために集うことになった。だが、ミクの思い出話をしているうちに、つじつまの合わないことが次々と出て来る。一体、野中ミクとは何者なのか?
2022年5月 第12回「千年映画祭」にて上映
年齢性別の異なる6人が、あるオンライン会議室に引き寄せられる。全員が初対面であるため、それぞれが自己紹介を兼ねて身の上話をしていく。すると、彼ら6人全員の境遇が『偶然の一致』で片づけるにはあまりにも似すぎていることが次第に明らかになっていく。彼らはなぜ、ここにこうして集ったのか。その先には、どんな未来が待っているのか。
2022年5月 第12回「千年映画祭」にて上映
近未来。止まらない人口増加に歯止めをかけるため、全人類はある選択をした。それは、全員が「20歳まで太く短く生きる」と「寿命まで細く長く生きる」のどちらかを10歳で選択するということである。「太く短く生きる」を選択した場合、「遺伝子スイッチ」が入り、自分の先天的能力が最大限に引き出されるという恩恵を受けるが、20歳で確実に死ぬ。一方、「細く長く生きる」を選択した場合、そのような恩恵は受けられないが、寿命が尽きるまで生き続けることができる。すると、驚くべき事態が起きた。若い世代のほぼ全員が、「20歳まで」を選択したのである。かくして人口は急激に減少し、「10歳の選択」というルールは自然消滅したが、既に選択を下した世代が20歳で死に続け、人口減少の勢いは止まらない。更に、外気が毒ガス、放射能、ウイルス、細菌などにまみれて危険であるという言説が飛び交って「常識」となり、人々は近隣のシェルターに避難して、そこで生活するようになった。いつしかインターネットも使えなくなり、外界とのコンタクトは一切できなくなったため、不安と恐怖にかられた人々は、シェルターから一歩も外に出なくなった。最後の避難者がこのシェルターにたどり着いてから既に5年以上が経過しているが、以来現在まで、誰一人として外に出た者はいない。そしてある日、突然、どこからともなく謎の人物が現れる。敵か?味方か?それとも?
2022年5月 第12回千年映画祭にて上映
MATTは保険の営業マン。毎晩のように悪夢にうなされて、飛び起きる。原因は分からない。MATTにはROCKという弟がいる。彼は、「兄貴は世界一の殺し屋だ」という。ROCK自身も殺し屋であるらしい。そしてある日、MATTはANNと名乗る女性と遭遇。彼女は正体不明。ROCKは怪しいとにらむが確証はない。いつしかMATTとANNは恋仲になっていくが、二人の間には常に緊張が付きまとう。ROCKもまた、「兄貴を守る」という名目でANNとの戦いの中に溺れていく。果たして、ANNの真の狙いは何か。最後に勝利するのは誰か?誰が、誰の、「観客」なのか?
2022年5月 第12回千年映画祭にて上映