
MINIMA17【脱出】
小さな山の中腹に墓地がある。主人公が墓参りに訪れるが、下山しようとして異変に気づく。どの方向に進んでも、山から一歩も出ることが出来ないのである。果たして、彼は無事に脱出することが出来るのか。そもそも、なぜ彼は山から出ることが突然できなくなったのか。
小さな山の中腹に墓地がある。主人公が墓参りに訪れるが、下山しようとして異変に気づく。どの方向に進んでも、山から一歩も出ることが出来ないのである。果たして、彼は無事に脱出することが出来るのか。そもそも、なぜ彼は山から出ることが突然できなくなったのか。
上野、黒沢、島崎は高校教師。同じ学校で働く同僚。修学旅行の引率で、上野は北海道、黒沢は京都、島崎は韓国に来ている。上野は「人間も動物の一種に過ぎないんだから、考え過ぎても仕方ない」と開き直って日々を享楽的にやり過ごす遊び人。黒沢は別れた妻に未練たらたらの空回り熱血男。島崎は同じ職場の女性教師に思いを寄せているにもかかわらず、子供の頃から勉強とゲームしかしてこなかったので「はじめの一歩」すら踏み出せない世間知らず。彼ら3人のダメ男はそれぞれの思いや理由によって引率地を選んだが、三者三様にまさかの展開が待っていた。
MATTは保険の営業マン。毎晩のように悪夢にうなされて、飛び起きる。原因は分からない。MATTにはROCKという弟がいる。彼は、「兄貴は世界一の殺し屋だ」という。ROCK自身も殺し屋であるらしい。そしてある日、MATTはANNと名乗る女性と遭遇。彼女は正体不明。ROCKは怪しいとにらむが確証はない。いつしかMATTとANNは恋仲になっていくが、二人の間には常に緊張が付きまとう。ROCKもまた、「兄貴を守る」という名目でANNとの戦いの中に溺れていく。果たして、ANNの真の狙いは何か。最後に勝利するのは誰か?誰が、誰の、「観客」なのか?
近未来。止まらない人口増加に歯止めをかけるため、全人類はある選択をした。それは、全員が「20歳まで太く短く生きる」と「寿命まで細く長く生きる」のどちらかを10歳で選択するということである。「太く短く生きる」を選択した場合、「遺伝子スイッチ」が入り、自分の先天的能力が最大限に引き出されるという恩恵を受けるが、20歳で確実に死ぬ。一方、「細く長く生きる」を選択した場合、そのような恩恵は受けられないが、寿命が尽きるまで生き続けることができる。すると、驚くべき事態が起きた。若い世代のほぼ全員が、「20歳まで」を選択したのである。かくして人口は急激に減少し、「10歳の選択」というルールは自然消滅したが、既に選択を下した世代が20歳で死に続け、人口減少の勢いは止まらない。更に、外気が毒ガス、放射能、ウイルス、細菌などにまみれて危険であるという言説が飛び交って「常識」となり、人々は近隣のシェルターに避難して、そこで生活するようになった。いつしかインターネットも使えなくなり、外界とのコンタクトは一切できなくなったため、不安と恐怖にかられた人々は、シェルターから一歩も外に出なくなった。最後の避難者がこのシェルターにたどり着いてから既に5年以上が経過しているが、以来現在まで、誰一人として外に出た者はいない。そしてある日、突然、どこからともなく謎の人物が現れる。敵か?味方か?それとも?
最愛の娘を1年前に亡くした村雨純一は、ある理由から6名の人物の所在を探り当て、「あなたが気づいておられないような重大な出来事についてお知らせしたい」と連絡を入れてZOOM会議室に呼び出し、一堂に会させることに成功する。ところが、この6名はいずれも癖のある人物たちで、事態は収拾困難となって思わぬ方向へと展開し、全員の秘密が次々に暴き立てられていく。 果たして、村雨は目的を達することができるのか。そもそも、彼は何のために彼ら6名を呼び出したのか。
これが、2005年4月1日に発足したときからずっと、HINAMIが追い求めてきたものです。
デジタル機器やインターネットの発達によって、今や映画は誰でも撮ることが出来ます。必要なのは、情熱、仲間、そして最小限の製作技術だけです。
映画には、いろいろな顔があります。
経済的な成功を目指す、ビジネスとしての映画。
表現の可能性を追求する、アートとしての映画。
みんなで集まってそれ自体を楽しむ、お祭りとしての映画。
映画の歴史が始まったのは、19世紀の終わり頃。「そこにあるものをただ写す」ことからの出発でした。
20世紀の映画は、主としてビジネスとしての映画でした。アートとしての映画は一部の成功者を除いて「食えない」し、機材にもフィルムにも非常にお金がかかるので、お祭りとしてみんなで楽しむことなど到底できませんでした。
ところが、21世紀になって、状況は一変しました。テクノロジーの急速な発展によって、全てが桁違いに高品質かつ安価になったからです。その結果、大きな経済的リスクを負うことなく、アートとしての映画を徹底的に追求したり、つくりたい人たちが自由に集まって映画づくりそのものを楽しんだりすることが、人類の歴史上初めて可能になったのです。
だからこそ、HINAMIは「アートとしての映画」と「お祭りとしての映画」を誰もが楽しめることを示し、「プロアマ問わず、日々の暮らしの中で、映画づくりを一緒に楽しみませんか」と提案したいのです。映画は「映画ビジネス」と同一ではないし、経済的利益の追求をいったんカッコに入れるからこそ、より自由で多様な関係性を育むことが可能であり、それがビジネス以上の成果を生むことすらあるのだと証明したいのです。
映画は、本当に良いものです。映像、音声、演技、脚本が絡み合う総合芸術だからこそ、表現の可能性が無限にあります。また、撮影現場で参加者全員が一丸となり、和気藹々と、同時に極限まで集中して全力を尽くすときの一体感や昂揚感は、格別です。
HINAMI(ひなみ)とは「日常」を意味する日本の古語です。
映画づくりが、あなたにとっても「ひなみ」になりますように。
映画革命HINAMI 代表 黒川裕一
この喫茶店には、マスターが一人。他の店員はいない。アルバイトもいない。店の内装も品揃えも、何一つ奇をてらったところのない、王道の喫茶店。「だからこそ」なのか、「にもかかわらず」なのか、実に多種多様な客がこの店にはやって来る。そして、それぞれの人間模様を織りなす。客の顔触れが変わろうとも、この店の中には独特の時間が流れている。
2021年1月 HINAMIプレミア上映会2021にて上映
悠々と流れる一本の川に、橋が架かっている。この橋は、一方の岸ともう一方の岸をつなぐのみならず、過去と現在、そして未来をもつないでいる。そしてまた、接点などありようもなかったはずの人々の人生をも奇妙に交わらせる。彼らがこの橋の下で出会ったのは、単なる偶然なのか。それとも運命なのか。新しい映画です。
2021年1月 HINAMIプレミア上映会2021にて上映
二人の子供が休日の工場に忍び込み、遊んでいる。そこに、5人の大人が次々になだれ込む。彼らは、先頭を走る男が持つアタッシュケースの中身を巡って、銃撃戦を繰り広げる。最後にアタッシュケースの中身を手にするのは誰か。子供たちは工場から無事に出てくることができるのか。
2021年1月 HINAMIプレミア上映会2021にて上映
堀川と馬場は、二人組の刑事。先輩堀川は、冷徹だが腕は超一流。対照的に、後輩馬場は熱血漢だが調子に乗りやすく、失敗も多い。二人が追っているのは、連続殺人犯。警察関係者ばかり、既に11名を殺害している。しかも、犯人はこの事件の皮切りに堀川を狙撃して胸を撃ち抜いており、堀川は一命をとりとめたものの全力疾走できない体になっていた。
2021年1月 HINAMIプレミア上映会2021にて上映
甲斐勇二は、警視庁捜査一課の元エースで、今は引退して故郷で一人暮らしをしている。ところがある日突然、一本の電話が平穏な日々を切り裂く。「阿久津宗全」と名乗る電話の主は、「久しぶり」となれなれしく話しかけ、「ちょっと会いに来てくれ」という。いぶかしがる甲斐に、阿久津は「あんたが刑事を辞めることになった、あの事件にも関係ある」と誘いをかけ、甲斐は疑問の尽きぬまま面会に向かう。阿久津は100人以上の犠牲者を出した船爆破事件の容疑者として身柄を拘束されており、「甲斐さん、あんたにだけは本当のことを話す」という。阿久津は、甲斐に何を話すのか。甲斐は、なぜ呼び出されたのか。
2020年1月5日 20:00〜 第十回千年映画祭にて上映
日本政府は、ニート、フリーター対策の一環として、事実上の徴兵を決定。一定の年齢を過ぎても定職についていないものは強制的に軍事学校行きとなる。その学校の名は、「ボトムガン」。そこでは、アメリカの海兵隊も真っ青の厳しい訓練メニューが用意されていた。ところが、筋金入りのぐーたら人間たちは、それをものともせず、マイペースでだらだら。中途半端に「ゆとり教育」などを刷り込まれているから始末に負えない。そこで政府は決断をくだし、過去の遺物となったはずのスパルタ教育を全面導入することにしたのだが…
2020年1月4日 18:00〜 第十回千年映画祭にて上映